172.パイプ工場のあったころ

更新日:2017年03月27日

撮影:昭和33年10月

福島軽工業株式会社、この近辺では福島のラオエ場と呼んでいました。アメリカへ輸出する竹ステッキが主として作られ、竹の原材料は福島県白川方面から鉄道の貨物車両で送られてきたようです。

このような竹の加工をする工場はおそらくこの近隣には無かったと思われます。創業がいつのころか分かりませんが、私たちが戦前にあったことを記憶しています。古い記録には明治11年裾野に竹工場(パイスケ、竹コオリ、キセル竹始まる)という記事がありますので、たぶんこの工場の前身だと思われます。

その後巻タバコが多くなったのでタバコ用の竹パイプも盛んに作られました。