102.十里木の今昔

更新日:2017年03月27日

撮影:昭和32年

昭和29年須山小学校が全焼し、同中学校の一部が焼失しました。しかし、翌30年には早くも須山小・中学校新築校舎が落成しました。十里木部落は、須山本村より約6キロメートルも遠く離れた山の上にあったため、ここには分校が建っていました。部落の戸数11戸、したがって分校の全校生徒は、写真で見るこれだけでした。昭和32年須山村は裾野町と合併したのですが、このころもまだ十里木は陸の孤島などと言われていました。

今では、別荘地、ゴルフ場、遊園地、サファリパークなど一大観光地となり、また工業団地も加えて注目をあつめています。