5.おかいこさん

更新日:2017年03月27日

撮影:昭和29年7月

撮影:昭和29年7月

今から50年~60年以前には、裾野でも養蚕が盛んに行われていました。戦中、戦後の食糧難にぶつかり、ひたすら食糧増産のため桑園はつぶされて、養蚕は姿を消してしまいました。

子どもの頃、「まゆかき」(まゆを取り出すこと)の手伝いをするとテッポー玉(あめ)がもらえたものです。当時の農家にとって、おかいこさんと崇がめられていました。

今でも、二本松にカネボウシルク蚕種製造所があります。その関係で蚕種用の養蚕が富岡方面の一部で行われていたが、これも姿を消してしまったのではないだろうか。