50.懐かしい十里木分校

更新日:2017年03月27日

撮影:昭和33年6月

昭和29年に須山小学校は全焼し、中学校の一部も焼失したが、翌30年には須山小中学校新築校舎が落成した。本校は災難にあったが、ここ十里木は静かな平和に明け暮れていた。昭和32年には須山村が富岡村と共に裾野町へ合併したが、この頃の十里木はバスも通わない陸の孤島といわれていた。しかし、東海道ができる以前は街道筋で仲々のにぎわいであったと古文書に記されている。

戸数15戸、全校生徒11人、十里木分校の姿でした。いまは分校の校舎もなく生徒は須山小中学校へバス通学をしています。人里はなれた十里木も今は、富士急の開発による別荘地、日本ランド遊園地、大昭和開発の別荘、ゴルフ場、富士サファリパーク等々-大観光地としてにぎわいを見せています。