156.宗祇法師の旧墓所
室町時代中期の連歌師宗祇は、市内にある桃園山定輪寺との交流が非常に深く、生前からお弟子さんたちに、俺の死後は定輪寺に葬るようにと申しつけていたといわれています。
旅の途中、箱根山中あたりで死亡し、お弟子さんたちが師の亡骸を担いで定輪寺に至り埋葬したと伝えられています。その墓所は定輪寺境内西の山裾にあったのですが、東名高速道路の建設により移転せざるを得なくなったのです。現在は墓所、歌碑ともに定輪寺境内に移され、丁重な法要が続けられています。
室町時代中期の連歌師宗祇は、市内にある桃園山定輪寺との交流が非常に深く、生前からお弟子さんたちに、俺の死後は定輪寺に葬るようにと申しつけていたといわれています。
旅の途中、箱根山中あたりで死亡し、お弟子さんたちが師の亡骸を担いで定輪寺に至り埋葬したと伝えられています。その墓所は定輪寺境内西の山裾にあったのですが、東名高速道路の建設により移転せざるを得なくなったのです。現在は墓所、歌碑ともに定輪寺境内に移され、丁重な法要が続けられています。
更新日:2017年03月27日