107.十里木の今昔2
全校生徒10人前後の分校ですから校庭も狭小で、山あいの十里木ならではの情趣豊かなところに立地していました。
昭和32年9月1日に掲げられた「駿東郡裾野町立須山小学校十里木分校」の看板が懐かしいですね。哀愁をそそるかのような門柱が心を打ちます。
この日は、どこの青年会だったか忘れましたけれど、お兄ちゃん、お姉ちゃんがおみやげに本を沢山持って慰問に訪れ、スクエアダンスなどを踊って楽しくすごしました。昭和32年5月ごろです。もやが越前岳をかくしていました。
全校生徒10人前後の分校ですから校庭も狭小で、山あいの十里木ならではの情趣豊かなところに立地していました。
昭和32年9月1日に掲げられた「駿東郡裾野町立須山小学校十里木分校」の看板が懐かしいですね。哀愁をそそるかのような門柱が心を打ちます。
この日は、どこの青年会だったか忘れましたけれど、お兄ちゃん、お姉ちゃんがおみやげに本を沢山持って慰問に訪れ、スクエアダンスなどを踊って楽しくすごしました。昭和32年5月ごろです。もやが越前岳をかくしていました。
更新日:2017年03月27日