須山口登山道 ~室町時代には成立していた歴史ある登山道

須山御胎内

須山口登山道一合目(須山御胎内)

須山口登山道は、須山浅間神社を起点とし、山頂部に至った登山道です。古くは正治2(1200)年の「末代証拠三ケ所立会証文」に「東口珠山」の名前がみえます。また、京都聖護院の道興法親王の旅行記「廻国雑記」には、文明18(1486)年、須山口と推定される「すはま口」を訪れたことが書かれていて、室町時代には使用されていたことがわかります。
しかし、宝永4(1707)年の宝永の大噴火により登山道の中間部分が吹き飛ばされてしまいました。安永9(1780)年に完全復興し、富士山頂を目指す道者は、駿河をはじめ、伊勢、武蔵、上総など広く東西から集まりました。寛政12(1800)年の富士山の御縁年には、5,398人の登山者を集めました。
明治16(1883)年、須山口の二合八勺に合流する御殿場口が開設され、明治22(1889年)に東海道線(現在の御殿場線)が開通すると、現在の裾野駅からの須山口よりも距離が短い御殿場口が利用されるようになり、須山口の利用者は減少していきました。そして、明治45(1912)年に登山道の一部が旧陸軍演習場となり通行自体が困難となりました。
平成8(1996)年、須山口登山歩道保存会が発足し、翌年から平成11(1999)年にかけて、須山浅間神社から水ケ塚公園、御殿庭を経て富士宮口六合目に至る須山口登山歩道とかつての須山口を利用した須山口下山歩道が整備されました。
かつての須山口の二合八勺(標高2050メートル)から山頂にいたる登山道(現御殿場口登山道)と須山御胎内周辺から幕岩上までの遊歩道が、須山口登山道として構成資産(世界遺産としての登録資産)の範囲となっています。

富士山須山口略絵図(複写:富士山資料館所蔵)

富士山須山口略絵図 (複写:富士山資料館所蔵)

年代は未詳ですが、宝永山が描かれているので、1780年以降のものです。中央に須山浅間神社や御師住宅が描かれ、一合目役場の須山御胎内を通って山頂まで登山道が通じているのがわかります。

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更新日:2017年03月27日